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ネオ・ウルトラQ 洗濯の日

さて、ネオ・ウルトラQ 第2話 『洗濯の日』の感想である。
(以下、ネタバレ感想)

町に住んでいる洗濯屋の怪獣「ブレザレン」
どことなく愛嬌のあるその姿は、かつてのガラモン(ガラゴン)に似ている。
口から液体(今回は泡だが)を吐き出しているし。

いやこのサイズだとピグモンだろうか?
どことなく愛嬌あるし。

しかし、ブレザレンは怪獣である。
その姿は愛嬌があっても、人間並ぶと、やはり異質だ。

そんな姿にも関わらず、この怪獣は町に溶け込んでいる。
自分では喋ないようだが、人語を理解し、働いて地域社会に貢献している。
一部の人間からは怪獣という意味での不信感があるようだが、その確かな仕事から、かなりの人々の信頼を勝ち取っている。
この姿は、かつてのブラジルへの日本人移民を彷彿させる。
かつて日本から渡った移民は、まじめな仕事から外国の人間に信頼され、溶け込んでいったという。
ブレザレンは、寡黙で、おとなしい。しかし仕事には頑固なまでに真面目だ。
日本人の美徳がそこにある。
ブレザレンに何となくシンパシーを感じる人間は多かったのではないだろうか?
つまり今回は怪獣ものの名を借りた移民の話だったのだな。
(日本人移民に限らないが、移民が従事する職業の一つクリーニングがある)


さて怪獣「ブレザレン」は口から吐く泡で衣類の洗濯をする。
衣類はこれで新品同様に綺麗なるという。

一口に衣類の汚れというが、実は色々と在る。
例えばジュースとチョコレートの汚れ、そして泥汚れでは、それぞれ基本的な洗濯の仕方が異なる。
また繊維の違いや染色や加工によっても洗濯は異なる。
しかしブレザレンは、口から吐く泡で、それらの汚れをすべて一気に洗濯してしまう。
また銭湯の浴槽も掃除していしまう。一般的に衣服の洗剤はアルカリ性だが、風呂掃除には酸性の洗剤も利用する。
また、町内の老人から懇願され、風呂屋でクリーニングの時と同様に口から吐いた泡を浴びせたが、特に人体には無害のようであった。
あの泡が洗剤であるならば、洗濯する対象や汚れの内容によって、ブレザレンが成分を変えているのではないかと推察できる(あるいは未知の万能洗剤なのか)。

しかも、ブレザレンの洗濯は、衣類に関しては、新品同様になるという。
衣服は長年使っていると日光や空気によって色などが劣化をしていく。
そうでなくても、布の繊維は摩耗していく。
それが、新品同様になるという。
あの泡は一種の局所的に作用するタイムマシンなのかという想像も出来るが、老人が若返るわけでもなく、人体には特に影響ところをみると、それも違うようだ。
(老人達があの泡を浴びた時にどのような効果があったのか、映像を見るといまいち不明ではあるのだが、恐らく垢が綺麗に落ちる程度なのだろう)

これは私の考えであるが、おそらくあの泡はブレザレンが想像した通りに物体の生成を行うものなのではないのだろうか?
ブレザレンの泡が、衣類に付着した場合は、ブレザレンがイメージした衣類になるよう、汚れを含んで生地の再構成を行っているのではないか。
また、人体に対して使う場合、ブレザレンがイメージした老人の肌になるように垢を含んだ皮膚を再構成をしたのではないか。
ちょっと考えると、なかなか恐ろしい液体なのだが、尤もブレザレンはあの泡を利用して何か新しい物体を生成する気は無いようだ。
想像力が不足しているためか、それとも優しさのためなのか、ブレザレンはその能力を、洗濯(つまり物体をブレザレンのイメージした元の姿に戻すこと)にしか利用していないだろう。

さて、物語の最後でブレザレンはこれを地球に対して行った。

東郷国連事務総長は「地球」の汚れを洗濯しろとブレザレン頼んだ。
(てか、日本人が国連事務総長ということは、日本は常任理事国になっていないばかりか、発展途上国扱いですか・・・)
さて、地球の汚れとはなんだろう。
文脈から推察するに、おそらく深刻な公害や放射能汚染の事のつもりだったのだろうが、どうも抽象的すぎる。
洗濯するのはブレザレンである以上、彼がどのように汚れを考えるかによって、まるで選択する結果はちがってくる。
例えば、先ほどの公害などは「人間」とっての汚れである。

しかし、視点を変えて「地球」の汚れとはなんだろう。
(一昔前のエコロジー思想みたいでイヤなのだが)地球にとって「汚れ」とは、公害を垂れ流す人間のことだろうか?
いやこれは「地球」ではなく「生物」にとっての汚れだ。
むしろ「地球」とっては「生物」そのものが「汚れ」ということも考えられる。

地球を洗濯しろと頼まれてブレザレンはそれを行った。
まあまさか一気に地球を泡で白くするとは意外、というか、さすが怪獣の面目躍如ではあるが、しかし、結局彼はなにを思って洗濯をしたのか。
地球という惑星にとってみれば、大気や水、そして山や海といった地形でさえも汚れであり、完全な球体になることが綺麗になることなのだろうか。

あるいは、あの白い世界はただの泡なのかもしれない。
それが世界を洗濯(再構成)するとき、果たしてどんな世界になっているのか。

それはブレザレンの胸の内次第である。
(ていうか、ちゃんと具体的に洗濯する対象を言いましょうよ・・・)

なおブレザレンは英語で記載すると「Brethren」と書くと思われる。
これは「(信仰的な)同胞」という意味である。ちなみにキリスト教の教派の一つにこの名前がある。
前回に引き続き、キリスト教からの引用となるが、穿った見方をすると、今回の話はブレザレンが作り上げた宗教(カルト)に皆が改宗する話でもあるのかもしれない。
なるほど、あのブラックなラスト。あれは神様が世界をリセット(洗濯)する話、つまり世界の終末だったのか。

ネオ・ウルトラQを2回目まで見て感じたが、どことなくセカイ系というか、ひたすら内向きの話が多かったウルトラQ・ダークファンタジーと比べて、東日本大震災とその後原発運動の影響を受けている気がする。
あとキリスト教というか、宗教や神話からの引用が多いかな。

怪獣は神サマというのか、ネオ・ウルトラQの基本的なスタンスなのだろうか?

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