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ネオ・ウルトラQ クォ・ヴァディス

さて、ネオ・ウルトラQ 第1話 『クォ・ヴァディス』の感想である。
(以下、ネタバレ感想) 

本作はウルトラQの直接の続編だという。
数年前に放映していたウルトラQ・ダークファンタジーがあったがあれもまたウルトラQの延長ではある。
ダークファンタジーとネオとの関係はウルトラQを平行したパラレルであるのか、それともダークファンタジーの延長にネオがあるのか不明ではある。
まあウルトラQ自体、オムニバスで各話のつながりもかなり希薄である。
とりあえず延長と考えても支障が無いため、ネオはダークファンタジーと同じ時系列であるとここでは考えることとする。
(おっと、ウルトラゾーンチャンネルもあるが、コレについてはパラレルとして扱う。・・・というか、あつかわせてください・・・)

さて、始まったネオ・ウルトラQの世界。
1話ではその世界観を描くことに終始していたようだ。

タイトルである「クォ・ヴァディス」。そもそもは歴史小説のことであり、これ単純にいえば殉教の話である。
ラテン語では「Quo Vadis」で、邦訳すれば「あなたはどこへ行くのか?」と言う意味となる。

タイトルの通り、今回の話は、どこからともなく現れた「ニルワニエ」がただただ竜ヶ森を目指して歩く。

目的はいまいち判然としない。
千年生きた怪獣がその死に場所として、森を目指したのか。
植物(粘菌)の怪獣であるようなので、最期に御神木と一体化することが、その生態であるのか。
怪獣に殺された人々への鎮魂なのか。
あるいは太陽黒点を元に戻すことが目的だったのか。
映像からは因果関係が今ひとつはっきりしないため、結論を出すのは難しい。
結局、千年に一度現れる怪獣の目的など、人間になど理解できないと云うことなのだろうか。

ただ、「ニルワニエ」には知能があるようで、町など踏みつぶしたりせず(そもそもそんな事が可能な大きさもない)、ちゃんと道路を歩く。そればかりか、人間社会のルールに従い、律儀に信号まで守る。
先に書いたとおり、「ニルワニエ」には怪獣で死んだ人物の魂が眠っているので、おそらくそれが人間への破壊を許さないのだろう。
怪獣という超常的な「天災」での被害者に対し、怪獣側から供養を行ったのが、今回の怪獣なのかもしれない。

怪獣が居ることが当たり前の世界。
今回、怪獣そのものに対して、各人が取るスタンスが面白い。

怪獣保護協会と呼ばれる人間達にとっては、鯨やイルカと同じように、怪獣は守るべき自然なのだろう。
まあ、怪獣を守るためには、人間にどのような被害が及んでも良いというスタンスには、別のイデオロギーが見え隠れしなくもない。

一方、妻や子を亡くした「小林」にとって、自身が言うようにそれは倒すべき害獣である。
人間のあり方としては、こちらが正しい気もする。

そして今回の主人公達への怪獣へのスタンス。
主人公の一人である「南風」はそれに畏敬を感じつつも、研究対象として扱っている。
主人公の一人である「白山」はそれを保護する対象として扱っている。怪獣保護協会のスタンスに近いと思われる。
主人公の一人である「渡良瀬」は今ひとつ不明だが、ジャーナリストであることから、それを事象として見ているのではないか思う(今回は白山に感化されたようだが)。

結局「怪獣」とは「理不尽でどうしようもない現実」の象徴なのだろう。
その「現実」にどう向き合うのか、それが今回のウルトラQのテーマではないだろうか。


もう9年も前になってしまうのだが、ウルトラQ dark fantasyの感想を、拙ブログで書き続けたことがあった。
私生活が忙しいため、いつまで続くか判らないが、また書いてみようと思う。

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