« 私的SKE48論2nd(その3) | トップページ | 私的SKE48論2nd(その5) »

私的SKE48論2nd(その4)

今回のお題は、「AKB48という現代の巫女神信仰(2/3)」

前回の続きです

 選抜総選挙に関しても、非常に強く日本人の宗教観を反映していると考えます。つまりあれは、一種の宗教戦争なのではないでしょうか。欧米の一神教型の連中の宗教戦争というと、百年にも渡って血みどろの侵略戦争を繰り返す「十字軍遠征」みたいになっちゃうんだけど、我々日本人のような多神教型の宗教観によれば「神なんてのは無限に居る物なのだから、隣の奴が何を信じていようが構わない。俺が何を信じているかが重要だ」という事になるのではないでしょうか。古来日本にも宗教紛争はあったわけですが、そのほとんどは正月に行う「喧嘩神輿」程度だったりしたわけで、何としても相手を改宗させてやるとか、異教徒は皆殺しだとか言っていたわけではありません(←「島原の乱」とかもあるにはあるんだけど、あれは政治的な側面が大きいんで)。「俺が信じる神が勝てば、俺は満足だ」というレベルの話です。そう考えれば、神々の代理戦争とも言うべき現代版「喧嘩神輿」である選抜総選挙の意味する所も、判っていただけるのではないでしょうか。「喧嘩神輿」が腕力と精神力で勝負を決める物とするならば、選抜総選挙は資金力と組織力と知力で勝負を決める戦いです。勝ったからと言って(※どうなれば勝ったと言えるのかという所から、かなりあいまいですが)ファン個人に何がもたらされる訳でも無いんだけど、そもそも宗教というのはそういう物じゃないですか。信じている人の心が満たされればそれが全てなわけで、別に他人にとやかく言われる筋合いなんか有りはしない。まして選抜総選挙は(国政選挙の一人区とは違って)かなり多くの勝者が出る選挙なので、これに参加する事で幸せを感じる人もかなり多くの人数になる可能性が高いと言う事も含めて、非常に日本人の精神性に合っていると筆者は考えます。

 選抜じゃんけん大会も同様です。果たしてじゃんけんで何が判るのか、運の良し悪しだけで人生が決まってしまうのは正しいのか、という人も居るんだろうけど、筆者的にはこのじゃんけんという手法はAKBにとっては『最適』だと考えます。彼女達は巫女である以上、(彼女達の才能や努力や経験の総量などとは一切関係無く)舞台の上で彼女達に降りてくる神の性能に関しては、どうしても優劣を付けざるを得ない。つまりこのじゃんけん大会で勝つと言う事は、『彼女達がより優秀な巫女であり、より力の強い神を降ろす能力を持つ事の証明』に成り得るという事です(誰も彼女達が、<<何らかの努力(=実力)によって>>じゃんけんに勝ったとは思っていないでしょ?)。これが「禊の儀」を兼ねている証拠に、優勝した篠田真理子に対して「年齢が高すぎるから卒業したら?」という人はほとんど居なくなったし、ぽんこつ呼ばわりされていた島崎遥香も実力不足だという声がほとんどなくなりました。基本的には両者共に、選抜センターとしてファンに認められた(=「禊の儀」を終えた)という事だと思うんだよね(←本当はHKT児玉遥や乃木坂生駒里奈が「禊の儀」を経ていないのも大問題。人材的には問題無いと思うんだけど)。また48プロジェクトでは、彼女達は頻繁に「持っている」「持っていない」という“主語の無い”会話を行っていますが、この会話の主語が(才能や努力や経験に裏打ちされた)実力の事ではなく、(自分達の力ではどうにもならないレベルでの神の加護による)幸運の事であるのは明白です。これがスポーツなどの“実力勝負”の世界であればこんなふざけた話は有り得ないし、ファンもそんな事を許す筈が無い訳で、やはり女性アイドルの宗教性について(無意識かもしれないけど)きちんと理解しているAKB運営と、未だにアイドルを実力勝負の世界(=一神教的世界観)だと勘違いしているその他の皆様では、勝負を始める前から結果は歴然としていると言わざるを得ません。

 AKBと表記はしたものの実際には女性アイドル全般にも当てはまる事も、あえて混同した状態でここまでは記してきました。実際問題として、今回の「女性アイドルの宗教性」という論旨だけでは、AKBだけが絶対的に勝っていて、『その他のアイドル』には絶対に勝ち目が無いと論証するのは結構難しいんですよね。実はこの点に関しては両者のシステム的な差が大きすぎて、文化・宗教的な側面からだけで全てを語る事は非常に困難なんだけど、強いて言えば『その他のアイドル』の皆さんは、自分達が多神教的な宗教観の上に成り立っている現代版の巫女なんだ、と言う事が(運営もメンバーも)良く理解出来ていない事が最大の問題点なのではないでしょうか。だから本来ならば、一神教的な価値感の延長線上にある「歌の上手さ」や「ダンスの上手さ」の闇雲な追及といった見当違いの方向性へ進んでいってしまうんじゃないのかなと(←だってAKBを見ていても、ダンスの上手さと人気は正比例はしていないですよね)。もちろん歌もダンスも上手いに越した事は無いのは間違い無いんだけど、それはあくまでも「禊の儀」の一環なわけで、<<結果としてだけ>>上手いダンスを披露するのではほとんど意味が無いと思うんだよね(←過程を見せないと「禊の儀」として成立しないという事です)。もし単に高いスキルのみを目指すのならば(つまり彼女達自身が神になりたいのであれば)、基本的には欧米式一神教型のアイドルを目指す事になるので、遥か過去のソロのアイドル達、例えば松田聖子とか中森明菜など(今だったら安室奈美恵とか浜崎あゆみなど)に匹敵するほどのパフォーマンスの高さやカリスマ性を身に付ける所まで行かないと、彼女達が必要とする成功は得られないのではないでしょうか。多分大人数でグループを組んでいる時点で、根本的に駄目なんだろうと思うよ。逆に自分達が多神教的な宗教観の上に成り立っている現代版の巫女なんだと言う事に気がついたとしても、・・・今度はAKBとのシステム的な格差があまりにも大きすぎて、基本的にはもはや逆転不能なんだと気がついちゃうだけなんだけどね~(泣)。

 乃木坂46が今一つ伸び悩んでいる理由としても、(皆様も薄々は気がついていると思うけど)きちんとした「禊の儀」を行っていないために、彼女達に神が降りるという事に対してファン達の違和感が未だに消えてない事も原因の一つなのではないかと筆者は考えます。同様にして乃木坂選抜絶対センターである生駒里奈も、センターを努めるのに必要な「禊の儀」を全く行っていません(※AKBでは第一回選抜総選挙で前田敦子が「禊の儀」を終える以前の選抜センターは、前田敦子・高橋みなみ・小嶋陽菜・松井珠理奈の4人で回していた)。また乃木坂には「禊の儀」としての下済み時代の苦労も無いし、「ここまでやらなくても良いんじゃないか」とファンが目を背ける様な過酷な試練を体験した事も無いし、アウェーで戦って勝ち抜いた経験も無い。もし『16人のプリンシパル』を「禊の儀」だとするのならば、そこで出た順位がそのまま選抜CDに反映させていなければおかしい。でも『16人のプリンシパル』には何の意味も無かったから、つまり「禊の儀」(※ここでの意味は乃木坂選抜センターになる為の資格を得て、それを皆に認めて貰う儀式)では無かったから、選抜メンバーの陣容にはほとんど変化が無かったんですよね。AKB島崎遥香も何一つ「禊の儀」(※ここでの意味はAKB選抜センターになる為の資格を得て、それを皆に認めて貰う儀式)を行わないまま選抜センターになるかもしれないという、相当危うい状況だったのですが、最後の最後でじゃんけん大会で優勝するという形で、何とか「禊の儀」を行う事が出来ました(←松井珠理奈と渡辺麻友はある程度の「禊の儀」を終えています)。乃木坂46に関してはハイコンテクスト的な展開も一切進んでいないし、ハイコンテクスト的な仕掛けも質量共に足りな過ぎるし、実績は申し分ないのに年末の各賞の受賞も全く無さそうだし、Mステへの出演も一切無いし、そろそろ「運営が無能である」という結論を出してしまっても良いかもしれません。

 AKBが何故短期間で滅びる事が絶対に有り得ないのかも、・・・自明ですよね?。基本的に日本人の伝統的な価値観に完全に根ざした存在であるAKBは、(少なくとも大枠のシステムとしては)飽きられると言う事は絶対に有り得ない。AKBが飽きられるという事は、日本人の伝統的な価値観のかなり多くの部分が否定される事に他なりません。つまりもしAKBが滅びるのであれば、AKBと同等以上の受け皿が存在している事が最低条件となります。AKBを崩壊に導くほど物があるするならば、それはAKB以上により深くより強く、日本人の伝統的な価値観を体現する存在である必要があります(そうでなければ、短時間で飽きられてしまう筈です)。・・・少なくとも筆者にはこの5年間、その答えを見つける事が出来なかったんだよね。アイドルと言うジャンルを取っ払って考えても、少なくとも筆者が今まで見てきたゲーム(例えばオンラインゲームとか)、アニメ(例えばエヴァとかまどマギとかけいおんとか)、特撮(例えば仮面ライダーやスーパー戦隊ものとか)などを考えても、AKBほどダイレクトに日本人の感性に訴えてくるものが他には見つからなかったんですよ。恐らく現在の日本で、最も神に近い存在なのは「イチロー」と「サッカー日本代表」だと思うんですが、「サッカー日本代表」に関しては流石に日本という国が無くなるまで飽きられる事なく、神として君臨し続けるのは間違いないでしょう。しかしAKBに関しても、もう少し時間は必要でしょうが、最終的にはこれに近い地位を得るのではないかと筆者は考えているんですけどね。

 「新世紀エヴァンゲリオン」は近年稀に見る大ヒットを飛ばしたアニメであり、最初の作品が作られてから20年近く経った現在でも新作劇場版が作られ続けるほどの作品ですが、筆者はエヴァの成功要因の多くの部分はAKBと同じで、「日本人の太古から連綿と続く遺伝子に刻み付けられた文化宗教的な価値観」によると考えます。例えば「天使同士が殺し合いをする(=選抜総選挙)という宗教観」(※一神教の人達には到底考えられない設定です)、「何が正義か判らないという善と悪との相対化」(※一神教の人達にとっては善と悪は判り易いシンプルな問題です)、「ヒロインが14歳の美少女達であり依代(=巫女)として機能している」(※一神教的には幼過ぎるのだろうと思う)、「普段は何も出来ない未熟な主人公がロボに乗ると無敵になる(=ステージで歌うと光り輝く)」(※一神教の考え方では自分自身が強くならないと意味が無い)、「オチがどうなるのか全く判らない物語をリアルに体感しているというライブ感」(※一神教の連中が作る物語って、オチが丸見えの単調な話が多いと思いません?)といった所が、エヴァとAKBは瓜二つだと思うんですよ(←こういた部分は『コミック版デビルマン』も同じで、やはりヒロインであり巫女的なポジションであり最後にアルマゲドンの引き金を引く事になる牧村美樹もまた、恐らくは中学生)。もう一つ作り手側の話をすれば、エヴァのキャラクターデザインを担当しコミック化も手掛けた貞本義行氏はAKBのファンとしても知られており、AKBとは全く無関係な自らのイベントで、「僕が今はまっているミュージックPVをカウントダウン形式で紹介します」と言ってAKBのPVを流しまくったというのは有名な話であり(※ちなみに一位は「軽蔑していた愛情」との事)、結局関わっている側の感性が同じだから、出来上がる物(エヴァ&AKB)も同じなんだ、という事になるのではないでしょうか。“SF・特撮・アニメと美少女は相性が良い”というのは遥か昔から言われていた事なんだけど(今やSF映画の巨匠として知られるジョンカーペンター、マックG、JJエイブラムスなんかもAKB大好きだしね)、これも「日本人の太古から連綿と続く遺伝子に刻み付けられた文化宗教的な価値観」という視点から見れば、日本人固有の(と言ってしまって良いと思う)アニミズム(※何にでも神が宿っているという多神教特有の考え方。転じて「本来動く筈の無い絵が動く」のがアニメ、「本来存在しない筈の物を見せる」のが特撮)と巫女神信仰が結びついた結果であり、まさに「日本人の伝統的な価値観の融合」そのものと言えるかもしれません。予断ながらアイドルと格闘技も「日本人の伝統的な価値観」という視点から見ると非常に近い存在です。神楽も相撲も、どちらも神に奉納する物なんで。とまあいう感じで話が雑然としましたが、要するにゴジラもウルトラマンも仮面ライダーも、ヤマトもガンダムもエヴァも、み~んな何十年経っても作り続けられているのだから、AKBだって絶対に無くならないよ、ってだけの話なんだけどね(笑)

続く

(この文章の内容は、筆者の個人的な見解であり、他の如何なる個人・団体とも一切関係ありません。また文責は全て筆者個人にあります。何卒ご了承ください)

|

« 私的SKE48論2nd(その3) | トップページ | 私的SKE48論2nd(その5) »

芸能・アイドル」カテゴリの記事

コメント

「禊の儀」はいい切り口ですね。
乃木坂がてんでダメな分析も、説得的でした。

「禊の儀」でいえば、これが出来ていると言えるのは神8、指原、JR、さやみる、横山島崎までと見ているのですがいかがでしょう?

ついで言えば、島崎はじゃんけんに勝ったから儀式を終えられたという論証ですが、それだと内田眞由美すら対象になってしまう。じゃんけん云々だけじゃなく、チーム4センター、バカレア主役、マジすか3主役と併せ、巫女なり神の資格者として「持ってる」ことを世に認めさせる形を作れたからじゃないですか?

一方で、主の指摘したHKT兒玉だけじゃなく、全然禊を果たしていないのに、運営が上のポジションに置いて人気出したがってる『ぽっと出』メンが今48界隈にはわんさかいます。

太田が社運をかける川栄、加藤玲奈、入山も人々に認められる存在に全くなっていませんね。あの3人、下積み的苦労もそこそこしかせず、身を清める禊の儀式も行わずに指原抱き合わせとか中途半端なメディア推しやAKB内でのポジション引上げでお手軽に人気を出そうとしている。そんなんで、世が資格を認めるに至るわけがなく、カラ滑りするのは自明の理。あのプロダクションがやってることは、乃木坂の運営とどっこいのレベルと言わざるを得ない。

ピタゴラスAKS(SKE48)も、JR以外にはうまくやれていない。木本花音や菅なな子を神に導きたがってるように見えましたが、その割に儀式への道筋を引けていないように見えます。

NMBも同じ。城がダメだったのも、この辺りに原因がありませんか?

投稿: | 2012.12.02 06:22

初コメントです。自分は2年ほどAKBに興味を持ったときここで勉強させてもらいすっかりハマりました。今は地元に近い博多ヲタです。このブログにはとても感謝しています。

本筋とは関係ないですが一点だけ。HKT兒玉遥についてですが、今やデビューシングルで兒玉がセンターにならない可能性が高い状況です。ここで例に出すにはHKT田島芽瑠の方が適切でしょう。すでにHKT初のオリジナルMVでも田島センターです(これについては来年の映画でも兒玉が泣いているシーンがでるようですが)。

秋元康が珠理奈の再来と呼ぶ田島をHKTは今後センターにして推していくようです。なぜ珠理奈の再来なのかは誰もよく分からず、もちろん「禊の儀」もなく、ファンの支持も無い状況ですが。自分はそういう状況に非常に危機感を持っており、HKTデビューは大コケしそうだなと感じています。

投稿: | 2012.12.10 00:42

田島芽瑠がセンターを務めるバージョンの研究生公演動画および、チームH公演動画をニコ動にて確認。
DMMでの公演MCは冨吉明日香ら自称「家族」たちの足元にも及ばない感じです。
近い未来に正規のメンバーとなったとして、今度は1年近い差が開いた「H」らと比較されることは間違いなし。
私は個人的に「今は見守るしかない」と感じております。

投稿: ねぎ男 | 2012.12.10 02:06

遅ればせながらあけましておめでとうございます。見ない内に怒涛の更新されてて驚きました。
エヴァのくだりで思い出したんですが、エヴァとなら絡む余地ありそうって以前話しましたが本当に渡辺麻友が金曜ロードショーの宣伝係という形で実現させてくれて嬉しかったです。

投稿: DJRS | 2013.01.07 05:13

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/26541/56228915

この記事へのトラックバック一覧です: 私的SKE48論2nd(その4):

« 私的SKE48論2nd(その3) | トップページ | 私的SKE48論2nd(その5) »