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My最新映画感想文:「あずみ」(2003年・邦画)

 完全ネタばれ。でも内容なんて、みんな知ってるよね(笑)

 人物ベースで内容を一言で言えば、「爺の度重なる無能な作戦ミスを、あずみが一人で帳尻を合わせる話」というべきでしょうか。言葉が足りなかったと思いますが、爺は「戦略戦術」面では超無能な人物ですが、「人材育成」面では超優秀な人物であり(後述します)、”天は二物を与えず”という所でしょうか。

 まずは爺の超優秀な所から。爺は豊臣家滅亡直前の時期の元徳川方の武将で、完全に豊臣家の息の根を止めるために、「刺客」を育成して彼らに豊臣家の武将たちを暗殺させようとしました。そこで孤児を集めて約10年間教育して「刺客」を育て上げるのですが、この「刺客」の能力の凄さと言ったら!!。豊臣家の本職の忍者に対して、「あいつら手加減してるのか?。動きが遅すぎてつまんね~」とまで言い切ります。最強のあずみに至っては、鉄砲隊と獣のような野盗を含む、加藤清正軍、総勢数百人が罠を張る砦に人質まで取られた状態で、真昼間に単身突入してこれを皆殺し(一部死んだ振りをして生き残ったものもいますが)にしています(しかも動きにくいマントをつけたままで)。コミック「グラップラー刃牙」に範馬勇次郎という「地上最強」の格闘家というのが出てくるのですが、彼の存在は核兵器よりも強力だ、言われています。あづみの戦闘力が勇次郎に匹敵するかは置いておくとしても(パワーはともかく飛んでくる弓矢を刀で真っ二つに裂き、その各々で敵を二人倒すスピードはあるい匹敵するか?)、武器の性能が桁違いに低いこの時代においては、絶対に止められない「刺客」なんて最終兵器といって遜色ないでしょう。このあずみが10人居て的確に用いることができれば、確実に日本一国位征服できるでしょうし、100人も居れば世界統一すら可能ではないでしょうか。

 これほどの「刺客」を10年で養成する爺の手腕は、並大抵のものではありません。これが素材を選んで(つまり優秀な遺伝子の子供を選んで)ということででもあればまだ良いのですが、適当に拾ってきた戦災孤児に、試行錯誤無しの一発勝負で「刺客」を育成させてこの結果、というのはその人材育成能力たるや、現在に至るまでの最高の天才と言えるのではないでしょうか。ある意味、範馬勇次郎を部下に持つことよりも価値のあることかもしれません。この爺を配下に置くことこそ世界統一すら可能にする唯一の道だったと思うのですが、作中の人物でこのことに気づいた人物が一人もいなかったことが残念でなりません(笑)(もし気がついた者がいたとすれば、物語は「信長の野望・世界編」とでも言うべきものになってたのかな?)。ところでこれほどの戦闘力を持つあづみたちを「刺客」と呼ぶのはちょっと気が引ける気もしますね。北斗神拳を「暗殺拳」と呼ぶのと同じくらい不釣合いな気がします(笑)

 さて今度は爺の超無能な所を。爺は最初に刺客たちに2名セットにして殺し合わせ、人数を半分に減らしています。最初これは「使命(豊臣家の大名を暗殺して、日本を平和にすること)」を最上のものして刺客達にインプットするためのマインドコントロールの一環で、どうしても必要不可欠なものなのか、と思っていました。しかし一回替え玉作戦のために暗殺を仕損じて逆に追っ手がかかるや、「使命ってどうしても必要なものなのか?」という不満が刺客たちから出てくる始末。全然マインドコントロールが上手くいっていません(泣)。冷静に考えてみると、10年も一緒に居るんだから、その位のマインドコントロールはできていて当然です。むしろ倒すべき大名達の軍隊が合わせれば数十万人もいることを考えれば、人数は一人だって惜しいはず。だって補充は10年かけないとできないんですから。この殺し合いが、無能なものを減らす間引きだと考えてもおかしい。最も優秀なあずみとナンバーツーのなちを殺し合わせては、全然間引きになってなっていません。せめて殺し合わせる組み合わせくらい爺が選んで、無能な順に死なせるようにしないと。このため最後に「刺客」たちが深刻な戦力不足に陥るのは、まさしく爺の先見の明の足りなさゆえであるのは間違い無いと言えるでしょう。

 それ以外にも、加藤清正の替え玉作戦にひっかかる(情報収集の不備)、敵に正体がばれた後のアジトの変更の遅れ(情報分析力の無さ)、刺客達に毒物に対する知識を教えていない(知識教育の不備)、敵に追われている状況で刺客たちを祭りに遊びに行かせる(油断)、刺客たちをバラバラに行動させ自分も移動したため結局行方不明にしてしまう(集合場所くらい決めておけ!)、刺客が旅芸人と恋に落ち使命を忘れてしまう(マインドコントロールの不備)、結局刺客たちを再結集することができず人数が足りないので自分も一緒に暗殺に赴く(戦力の分散化、っていうか全てが問題!)、でもってそれが罠で刺客たちは殺され自分は人質にされる(もうなんと言って良いやら・・・)、他の刺客たちには使命を全うさせるために仲間同士で殺し合いまでさせておいて自分が死にそうになったらあずみには「一人で自由に生きろ」とか言っちゃう節操の無さ(・・・)。この爺が指揮官で居る限り、あずみクラスの戦闘力の持ち主が100人居ても、恐らく使命を達成することはできなかっただろうなあ。

 ここから得られる教訓は・・・何だろうね。やっぱ一つのことに優れた人だからと言って、全てをゆだねるのは危険だと言うことかなあ。例えば堀内監督に巨人をゆだねるのは危険だとか、原監督に巨人をゆだねるのは危険だとか・・・

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