« do!do!do!しようぜ | トップページ | ハチミツとクローバー »

My特撮感想文:「ローレライ」

<邦画:2005年製作:CS>

 久しぶりに怒りで脳みそがバーストしてしまったので、他にやることあるのにこれを書いてます(泣)。

友人のA氏はこの映画を見に行った時、帰りのエレベータの中で「こんな詰まらない映画は始めて見たわ」という女性達の会話を聞いたと言っていました。それを聞いたとき僕は、まあ本作は戦争映画なんだから女性の感性には合わないだろうし、美形も活躍しないから感情移入し辛いだろうから仕方ないか、と軽く考えていました。しかし見終わった今だからこそ、僕はぜひともそのエレベータの中の女性達に伝えてあげたい。「その通り、こんな酷い映画は、今まで見たこと無いよね!!」と。

 しかしこれだけひどい脚本は久しぶりのような気がします。ZガンダムⅠの脚本だってここまで酷くなかったぞ。辻褄が合わないとか、設定に無理があるなんてことは、この際どうでもよろしい。N式潜が分離する必要があるかのということも、ドラマツルギー上必要だと言われればがまんできる。上に巨大な大砲のついた潜水艦は、大砲を撃つとひっくり返るなどという常識的なことを、鬼の首を取ったようにあげつらう気ももはやない。問題は、キャラクターが何をしたいのかキャラクターに何をさせたいのかが、全く判らない事だ。(一言で言えば、脚本が腐ってる、ということだが)

 本作において謎の核心であり、狂言回しを務める「朝倉大佐」が何をしたかったのか判る方が居たら、ぜひ教えていただきたい。彼はアメリカにローレライを引き渡し、東京に原爆を落としたい理由として「大人たちにきちんと過去を反省させるため」とし、その効用として「日本をアメリカの属国にさせない」「子供達が誇りにできる日本を作る」ためとしている。また「東京に原爆を落としたら、大切な人たちも死んでしまうぞ?」という艦長の台詞に対しては、「生き残るべき人はみんな死んでしまって、今東京に残っているのは残りカスだけだ」という趣旨のことを言っている。・・・意味が判るだろうか?。東京に原爆を落とせば、反省するべき大人はみんな死んでしまうし、残っているのがカスだけなら”誇りを持てる日本”なんて言葉には何の意味も無い。ここまでくれば、朝倉大佐は明らかに頭がおかしくなっている、と断言して差し支えないと思う。

 またローレライをアメリカ軍に引き渡すことに失敗した後、朝倉大佐は「これも織り込み済みだ。いずれにしても東京に原爆は落とされる」と言っている。ということは、朝倉大佐が立てた作戦(本作前半部)は、一体何をさせたかったのだろう?。ローレライを米軍に引き渡すか引き渡さないかというドラマは、完全に<無意味>なものだったと言って差し支え無いと思う。まあ頭のおかしい人の考えることだから、判らないのは当然かもしれないが、それに付き合わされた視聴者こそいい迷惑だ。イ507潜水艦とローレライは、本来この物語において、何の必要性も必然性も無い代物だということも判った。むしろ問題なのは、朝倉大佐の部下であるイ507潜に潜り込んでいたスパイ君が、原爆を積んだB29の発進する場所と日時を完璧に知っていたことだ。少なくともこいつだけは、ローレライをアメリカ軍に渡そうが渡すまいが原爆の東京投下には何の関係も無かったことは知っていたことになる。・・・こいつも頭がおかしかったのか、この計画があらゆる意味で無意味だと言うことを知っての上で上官に付き合ってたのか(だとすれば付き合わされたスパイ君の仲間こそいい迷惑だ)、頭が悪すぎて無意味だと言うことに気がついていなかったのか。いずれにしても、この物語には頭のおかしい人と頭の悪い人しか出てこないのだが。

 後半は、悲壮感を盛り上げるために、バンバン仲間を殺していくことになる。これは確かに常套手段ではあるが、やり方さえ間違えなければ有効な手ではある。あくまでもやり方を間違えなければ、だけどね!!。本作は、当然のことながらやり方を間違えている。ほぼ主役クラスの乗組員が鉄格子の隙間に野球のボールを落とし、それを拾おうとしたら手が抜けなくなって注水した海水で溺れ死ぬ、というのは果たして泣いてあげるべきなのだろうか笑ってあげるべきなんだろうか???。はっきり言ってこいつも馬鹿である。副官の木崎は電源室の事故をリカバーするために、一人電源室に入って行って死んでしまうのだが、死因は不明だ。「電源室は人間の入って行けるところではありません!」という部下の言葉はあるのだが、電源室に何の問題があるのか、暑いのか寒いのか電気が漏電してるのか空気が無いのか空気が汚染されているのか、全く判らない。注意して見ていたがガスマスクを付けた木崎がちょっと痺れる様な演技はあるのだが、それはそれとして意を決したかのようにガスマスクを外し、意を決したかのように手袋を外してから電源コードを繋ぎ、崩れるように体に白っぽいものを付着させながら死んでしまう。さて死因は何だったのでしょうか?

 日本人が馬鹿ばかりならば、アメリカ人だって負けてはいない。イ507潜を追い詰めるべく50隻ほどもありそうな、大駆逐艦隊'(笑)を超密集隊形(まあ10mは離れてないね)で運用した挙句、一発の魚雷で玉突きを起こして壊滅していく有様は、もう笑うしかない。要するに敵も味方も馬鹿と頭のおかしいやつしかいないということは、この映画を作っている人間(元の元を辿れば、脚本を書いた奴だ)が〇×△で×〇△だということに他ならない。映画を盛り上げたければ前半の作戦をもっと有意義なものにすれば観客の感情移入度だって上がるし、後半の仲間を殺していく過程も「~をかばって」とか、きちんと理由付けしていけば、「さらば宇宙戦艦ヤマト」のように、すすり泣きの一つ位は・・・。

 現代に戻ってから、作家が付けていた腕時計は艦長からローレライに渡されたもののようにも見えるのだが、だとすればこの作家は、映画を見ている人々にもっとたくさん言うべきことがあったのではないだろうか。到底「無口だから」とか「口下手だから」ということですむ問題とも思えない。この作家に対する恨みの念だけが、視聴後の感想としてどす黒く残ってしまうのは致し方ないことだろう。そういえば、ガンダムの冨野監督がイ507潜に乗っていた筈なのだが、それを見つけられなかったことも、この映画に対するブラックな感情を盛り上げている一つの要因だ(私的なことですいません)。

 最後に少し大局的な視点から。日本の映画の場合、脚本をわけのわからない名前の人が書いている場合が非常に多い。これはひとえに監督の報酬が少ないことに起因しているのだという。つまり監督料だけではお金が足りないので脚本も監督が自分で書いてしまう、あるいは親兄弟親戚などに適当に(無報酬で)書かせて後は現場でその場その場でやってしまう、ということが非常に多いのだという。・・・なんかこれもそれっぽいなあ。誰かが「日本の映画は、脚本を軽視するようになってから衰退した」ということを言っていたが、ローレライとか見てると、全くその通りと頷きたくもなる。だって、本当に、脚本だけが足を引っ張りまくりなんだもん。

|

« do!do!do!しようぜ | トップページ | ハチミツとクローバー »

映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« do!do!do!しようぜ | トップページ | ハチミツとクローバー »