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「機動戦士ガンダム0083(改訂版1)」(1991年)

アニメ脚本家烈伝:<壱の巻>〝ロボットアニメの職人”五武冬史(鈴木良武) その九

 五武先生としても、よもや自分がガンダムと名の付く作品を作る日が来るとは、思いもしなかったのではないか。しかし監督の今西隆志と加瀬充子(なぜ二人いるかは後ほど)は二人とも「装甲騎兵ボトムズ」の演出出身。五武先生の実力は、知り抜いた上でのことだろう。またサンライズ的にいえば、0083は0080と比べて桁違いに重要な作品だ。0080は単なる外伝に過ぎず、言ってみればあってもなくてもどうでもいい話だ。しかし0083は正伝、ファーストガンダムとΖガンダムの間を埋める歴史の一部、できてしまえばもはや修正は利かない。また正伝という意味では、初の非富野監督系作品となる。初物とくれば、「サンライズの特攻隊長」五武先生を置いて他になし。つまり五武先生以外の選択肢など、最初から無かったのだ。

 五武先生とて、0083を引き受けるに際して、相当悩んだのではないだろうか。ガンダムの正伝を書くということは、すでに"伝説”と化し幻想すら膨らんでしまってる作品に対して生身で勝負することに他ならない。最初からかなり勝ち目の薄い勝負だ。だが五武先生としてはここで、自分自身でガンダムを作るという恐らくは最後のチャンスを逃したくなかったのだろうか、参戦を決意するのであった。それはすなわち、リアルロボットというムーブメントにおける、自身の存在価値すら賭けた戦いだったのだろうと思う。だからボトムズがリアルすぎて一般人受け入れられず、ドラグナーが先鋭的過ぎてスタッフにすら受け入れられなかったにも関わらず、新しいガンダムを、より「リアルロボット」として描くという方向性は譲れなかったのだろう。結果として、今回もそうして方向性が、五武先生の首を絞めることになるのだが。

 ここで何故0083には男女二人の監督がいたのかを考えてみたい。と言ってもここまで筆者の文章を読んできてくれた方ならば、もうお判りの事と思う。そう、加瀬充子は五武先生に描けない部分を補う、萌えキャラ要員だったのだ。今西監督はボトムズの演出出身であり、五武先生の長所とともに短所をも知り尽くしていた。だからこそ五武先生の苦手ジャンルに、わざわざもう一人監督を立てることでこれを乗り切ろうとしたのだろう。加瀬充子の持ちキャラは、"ニナ・パープルトン”。過去の他の作品では、五武先生の萌えキャラ要員として立てられた脚本家はかなり良い仕事をし、五武先生をフォローしてきた。しかし今回に関しては、非常に大きな誤算となった。加瀬充子(つーか、この人、脚本家じゃ無いんですけど・・・)はニナを上手く動かすことができず、結果として五武先生の第一法則(斬首モード。今回は本当に斬首にされちゃいます・・・)発動を早める結果となる。この役立たずが!。後のことを少しだけ。加瀬充子は、五武先生と同時に斬首されるが(当然だ!)、残されたニナの扱いには今西監督も相当頭を傷めた様で、自らが脚本を書いた最終回で、ニナに関して大チョンボを犯すことになる(ガトーの元恋人はねーだろ!)。本当に踏んだり蹴ったりのキャラであった。

 話を戻そう。まず五武先生が考えたのは、「複数ガンダム」制(このアイディアは、3年後に五武先生自身まったく予期しなかったであろう形で大輪の花を咲かせるのであるが、それはまた別の機会に)の採用。ダブルゼータガンダムにも、ガンダムチームなるものがあって複数のガンダム同時に活躍したりしていたのだが、それぞれの時期の最先端のガンダムは一体だけであり、最先端のガンダム=最強、という方程式が成り立ってた。しかし五武先生は、そうした考え方を「リアル」ではない、と考えたのだろう、最先端のガンダムを2体用意し、一機のガンダムが最強という神話を破壊した。 そして実質的な主人公メカをジム(のバリエーション)とした。ちょっと考えれば判ることだが、この作品以前にジムを主人公クラスに採用した作品など、一本たりともありはしない。現在のジムブームもまた、五武先生が切り開いた道の彼方に存在していることを、忘れないでほしい。

 やはり語るべきは五武0083の総決算とも言うべき、第4話「熱砂の攻防戦」だろう。ちなみに私の友人のT氏は、この話が全てのガンダムの中で最も好きなエピソードだと言っていた。T氏は、かなりマニアが入っている友人だったが、その気持ちはとても良く判る。五武先生は、汗臭い男たちの浪花節を横軸に、MS同士(それもこの作品以前なら、単なるやられメカに過ぎなかったようなMSを主役にして)の戦いを、徹底的に”リアル(つまりミリタリック)”に描いて見せた。そうだ、これこそが五武先生が作りたかった"ガンダム”だったのだ。後に作られたOVA「08小隊」、ゲーム「戦慄のブルー」「コロニーの落ちた地で」などは、全てこの延長線上に過ぎない。いつものことながら、こうした五武先生の功績は一切省みられることはないのだが。ただ筆者的にこのエピソードに対してちょっと不満なのは、ほんの少しMSの重さが”軽く”感じられることだ。砂漠という事で比較対象物が少ないことも原因の一つだと思うのだが、どう見てもMSの身長が18メートルに感じられないのだ。そう、ちょうど4メートル位に感じてしまうのは、気のせいだろうか・・・。

 五武先生としては、斬首されるのはある程度覚悟の上だったのだろうと思う(ちなみに4話で斬首~)。それほどに、見事なまでに視聴者に媚びない、五武リアル魂を体現した作品となった。五武先生は0083を持ってしても、ついにファーストガンダムに勝つことはできなかった。一部OVAやゲームに対しては絶大な影響を与えたものの、一般視聴者を引き込むことはついにできなかった(まあOVAなんだから根本的に無理だが)。だが五武先生は満足だったのではないだろうか。やりたいことは全てやれたと思うし、"見る人”が見れば、富野ガンダムと、五武ガンダムの、どちらがよりリアル(すなわちミリタリック)なのかは一目両全だ。五武先生としては、リアルロボットというムーブメント(もうこの時期に滅びかけてたけど)に対して、遣り残してことは無かったのではないだろうか。実際今回の<斬首>に関しては、経歴的にもそれほど傷が付かなかったようで、五武先生はここから数年間、、サンライズを中心に非常に忙しい日々を送ることになる。そうした中で五武先生は、思いもかけない形で、ガンダムへの最後の戦いの機会を得ることになるのだった・・・。

 蛇足を二点。五武先生の後を受けて0083のシリーズ構成を任されるのは"高橋良輔”、すなわちゼロテスター、ボトムズの監督であり、2回とも五武先生の首を切り飛ばした監督である。まあ今回は、高橋監督のせいではないんだけどね・・・。もう一つ、「08小隊」は見事なまでに五武先生の0083の影響を受けた作品なのだが、その監督はドラグナーで五武先生を三話で斬首した神田武幸、その人。・・・なんか全然納得がいかないんですが。・・・故人だけどさ。

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コメント

お初にお目にかかります。お茶の子と申します。「ルパン三世vs複製人間」の監督・脚本を手掛けられたのが吉川惣司さんと言うことを最近知り、急に吉川氏を意識し出しました20代の男であります。そこで何気にネット検索をしていたら貴サイトに辿り着きました。そして五武先生の脚本烈伝を読みながら色々と自分の見て来たアニメ史に繋がる所を多々感じまして、大層面白く列伝を拝見させて頂きました。0083は自分がまだ当時中学生の時代にリリース中だった作品でして、それまで従来のガンダムと一味違うなと薄々感じてはいましたが、それが五武先生の尽力あればこそなのだと言うことが良く分かる内容に感心致しました。宇宙に出るまでが五武テイストと言うのであればもう納得です。ガンダム強奪、仲間の死、奪回失敗、砂漠戦、アレは少年期には大変刺激的なストーリーでして興奮しておりました。自分もとってつけたような元恋人ネタに呆然とした1人であります。w

投稿: お茶の子 | 2006.02.18 19:47

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