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「装甲騎兵ボトムズ(改訂版1)」(1983年)

アニメ脚本家烈伝:<壱の巻>〝ロボットアニメの職人”五武冬史(鈴木良武) その七

 五武先生による、対ガンダム20年戦争における、刺客第一弾。とにかくボトムズが、リアルロボットアニメの頂点だということに異議を唱えるアニメファンは、ほとんどいないのではないだろうか。しかし「リアル」という言葉を一般的な意味で「リアリティがある」という言葉だと考えてしまうと大間違い。実はボトムズは、全くリアリティの無い話なのである。普通テクノロジー格差という言葉は、例えばコン・バトラーVを見て、「こんなロボット、現代の科学力で作れるわけねえだろ!」という使い方をする。こういったことがありすぎるから、スーパーロボットアニメはリアリティが無くて駄目なんだ、というわけである。しかしボトムズは逆の意味でリアリティが全く無い。恒星間飛行ができるほどの科学力を持った銀河帝国同士の星間戦争のお話のはずなのに、その最新兵器であるのATは、どう見てもベトナム戦争レベルの装備で戦争をやっているのだ。これだけのテクノロジーがあれば、いっそ「スターウォーズ」並みに、バリヤーや小型ビーム銃や惑星破壊兵器で戦争をする方が、よっぽどリアリティあるというものだ。つまりリアルロボットの〝リアル”というのは一般的な意味でのリアリティのことではなく、ミリタリーな状況下におけるリアルなのだ、ということを頭に置いておいて欲しい。そしてこのことは、リアルロボットアニメの創始者である、五武先生にだからこそ言えた事なのだが。

 ところで五武先生は、この入魂のボトムズですら、1クール前半に早くも第一法則(斬首モード)が発動している。なぜここで五武先生の首を切り飛ばさなくてはならなかっのか、筆者には現在に至るも理解できない(代わりに構成した吉川惣司は、筆者が最も敬愛する脚本家なので、作品的な意味では不満は無いのだが)。なぜ高橋監督は、五武先生に、全て委ねきることができなかったんだろうか。五武先生が高橋監督の下でシリーズ構成を行った作品は「ゼロテスター」「装甲騎兵ボトムズ」「勇者王ガオガイガー」の3作品。そして高橋監督はその全てで、作品放映途中で、五武先生の首を切り飛ばしている。富野監督は、少なくともザンボットのときは五武先生の自由にやらせてくれたというのに!。・・・五武先生に構成させれば、世間よりも数十年先を行く作品ができてしまうことは、最初から判っていることではないか。だったら最初から五武先生の構成にチェックを入れるとか、あるいは最初から五武先生を使わないとか、方法は幾らでもあるではないか。まして、このボトムズに限っては、五武先生の書いた1クール前半には、全く問題が無かったと思う。高橋監督にあったらぜひ聞いてみたいと思っていたが、機会があったのに聞くことができなかった。俺って駄目駄目(泣)

 で、ボトムズのスタッフだが(ここでは五武先生が構成した1クール前半のみに話を絞る)、流石高橋監督は五武先生との付き合いが長いので、五武先生の欠点は熟知していた。そこで萌えキャラ要員としてつれてこられたのは、なんと五武先生の師匠であり、ガッチャマンを構成しゼロテスターを敗北に追い込んだ「鳥海尽三」その人。タツノコプロを主戦場とし、虫プロ以降五武先生と接点の無かった鳥海尽三は、これ以降リアルロボット路線に本格参戦することになる(・・・これで「超時空騎団サザンクロス」さえ作らなきゃね~)。鳥海尽三は、高橋監督の期待に良く応え、ゴウト・バニラ・ココナというタイムボカンシリーズの三悪のような、コミカルすれすれの名バイプレイヤーを生み出していく(恐らくこの実績によって、ボトムズの次回作である「機甲界ガリアン」のシリーズ構成を任されることになる)。こういったキャラは、五武先生にはなかなか書けないんだよね~。もう一人の脚本家は吉川惣司。ゼロテスター以来の五武先生の盟友だが、ゼロテスターでもボトムズでも五武先生のケツを拭く役割を担う。別に五武先生としても、拭いて欲しくはなかったと思うんだけど・・・。ちなみに吉川惣司も五武先生同様、報われないアニメ脚本家人生を歩んで来ているが、代表作として「劇場版ルパン三世」の監督・脚本を務めている。只者ではないでしょ?

 さてボトムズの内容だが、これだけのスタッフを結集しても意見のすりあわせが困難なほど難しい作品だったと言える。流石に五武先生入魂の作品だと言えるだろう。特に主人公キリコの設定は、特に第一クール「ウド編」では3者の解釈が全く異なっており、脚本家ごとに全く違ったキリコが歩き回ると言う珍現象が起きている。まあ視聴者にとってもボトムズは難しい作品だったようで、このことを指摘する人はほとんどいないんだけどね~。以下各脚本家ごとのキリコの解釈を述べておくので、万が一ボトムズをもう一度見直す機会があったら、脚本家ごとにソートし直して見てみて欲しい。筆者が言いたいことが判って貰えるはずだ。

(1)五武キリコ:本来は最もスタンダードなはずなのだが、吉川キリコに押されてすっかりマイナーな存在に(泣)。でも俺はこのキリコが一番好きなんだ~!。リアルロボットの創始者である五武先生がデザインしただけあって、五武キリコはリアリティの塊である。つまり超弱い。一応ベテラン軍人らしく裏技なんかには秀でているのだが、普通に戦わせたら一対一でも負けちゃうんじゃないかというくらい弱い。すぐ雑魚キャラにやられて捕まっちゃうし。これこそ五武リアルロボット魂!!。あと五武先生が書いたのはアッセンブルEX10脱出後の戦艦の中のシーンで、キリコがレッドショルダーマーチを聞いてのた打ち回る辺りなんだけど、これもキリコの精神力の弱さがにじみ出ていて、五武リアルロボット魂!

(2)吉川キリコ:OVA版も含めて話数が最も多く、超メジャーなキリコ。無茶苦茶強い。後に幸運の遺伝子を持っているという設定が加わって、全ロボットアニメ史上でも最強クラスになった。リアルロボットなどという言葉に何の感慨も持っていなかった吉川惣司だからこそ可能だった暴挙と言えよう。最新版OVA「赫やくたる異端」でのキリコは、性格的にも能力的にもあまりにも人間離れしすぎていて、感情移入の対象にもならないともっぱらの評判。

(3)鳥海キリコ:はっきり言って、鳥海先生はウド編の時点では、キリコの性格が全く掴めていない。鳥海キリコはひたすら黙りこくっているだけ。後はゴウト・バニラ・ココナの三悪が物語を動かしていくことになる。そんな鳥海キリコも第二クールに入ってライバルのイプシロン(当然鳥海先生の持ちキャラ。イプシロンが死ぬ回も鳥海先生が書いている)が登場してからは、水を得た魚のように嬉しそうに戦っている。強さ的には一般兵にはボロ勝ち、イプシロンには惜敗といったところで、五武版と吉川版の中間くらいか。

 判って貰えるだろうか。筆者的にはキリコは死ぬほど弱くてOKなんだけど、高橋監督的にはそれでは駄目だったようで、イニシアティブは1クールの途中には五武先生から吉川惣司へと移ってしまう(そして二度と戻ってはこない)。そしてボトムズは吉川惣司の代表作となってしまうのだ。・・・それでは気を取り直して、恒例の作品解釈を。第四法則のバトルフィールドが、第一クールではサイバーパンク風の汚い街。当然死人も出まくるが、ボトムズの世界観ではむしろ望む所と言えるだろう。第二クール以降は吉川惣司が構成を引き継ぐが、五武先生の魂を継承して、「ベトナムのジャングル(笑)」「赤茶けた空気の無いどっかの星」「砂漠」をバトルフィールドとしながら物語は続いていく。ヒロインのフィアナは、典型的な五武ヒロイン(第六法則。面白みの無い大和撫子タイプ)なのだが、高橋監督はそれを謎めいた美女という形でを逆手に利用し、高い効果を上げている。伊達に五武先生と長い付き合いではないね!。

 そんなわけで、五武先生は最初のガンダム超えに失敗する。シリーズ構成を降ろされたのも致命的なのだが、ボトムズはやはり(ミリタリックな意味で)リアルすぎたし、トーンが暗すぎたし、演出がマニアック過ぎたかもしれない。(筆者のような)ディープなファンこそ付いたものの、ライトユーザーからは完全にそっぽを向かれてしまったのだ。これではガンダム追撃どころの騒ぎではない。ボトムズ製作の功績も吉川惣司に持っていかれてしまったし、五武先生的には踏んだり蹴ったりの結果に終わってしまった。しかし五武先生のガンダムとの死闘は、まだ始まったばかりなのだ。これから、まだ、まだ、続いていく。

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