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「無敵超人ザンボット3」(1977年)

アニメ脚本家烈伝:<壱の巻>〝ロボットアニメの職人”五武冬史(鈴木良武) その五

 76年は五武先生にとってつらい年になった。ひたすら生活のために他人の作品の下請けをせざるを得ない状況になってしまったのだ。ライディーンの絡みで長浜監督の次回作「超電磁ロボコン・バトラーV」、富野喜幸と共に参加した「ロボっ子ビートン」、何故かタツノコ系の作品である「ブローカー軍団マシーンブラスター」、手塚先生の絡みか「ジェッターマルス」などなど。それでも全て、オリジナルのロボットアニメ(第二法則)であるのは流石だが(笑)。

 そうした中、77年に虫プロ系のアニメ製作会社「日本サンライズ」が初の自主制作作品を作ることになり、富野監督が指名された。シリーズ構成は・・・五武先生をおいて他になし!!。ついに歯止めが一切かからない状況で、二人は遣りたい放題の物が作れる状況が与えられたのだ!。とはいえ作品を成功させるため、富野監督は周到な計算も同時に行っている。五武先生が萌えキャラを描けない(第六法則)のであれば、代わりに描ける脚本家を連れて来れば良い。こうして荒木芳久と星山博之が投入された。荒木芳久は富野監督の期待によく応え、〝神北恵子”という、アニメ史に残る人気ヒロインを創造してみせた(ちなみに五武脚本では、恵子はほとんど活躍していない。印象的な台詞はラストの「お父さん、お母さ~ん」くらいのものだ)。恐らくはこの功績により、荒木は次回作「無敵鋼人ダイターン3」のシリーズ構成に抜擢されることになる。新人の星山博之はブスペアのアキ(もしかしたら、五武脚本には出てこないのでは・・・)を持ちキャラとし、爆死するまでの過程を丹念に描いて見せた。この功績のせいかどうか判らないが(←違うと思う)、星山は次次回作「機動戦士ガンダム」のシリーズ構成に大抜擢されることになる。・・・世の中って、判らないもんだよね!。そういうわけで、五武先生にとっては始めて(そして限りなく最後に近いが)後顧の憂いが絶たれたのだ!!

 恐らく最初から決めていたのではないかと思う。ここまでひたすらバトルフィールドにこだわり、極力人間がいる町での戦闘を避けてきた五武先生が、いよいよバトルフィールド(第四法則)を「人間が住む街」に選んだのだ。リアリティを重視する(第二法則)五武先生にとって、このことは戦災難民と向かい合うことに他ならない。今まで全てのスーパーロボットアニメが眼を背けていた事実を、ストーリーの中核として組み込む決意をしたのだ。富野監督にとっても、これは賭けだったはずだ。しかしここで他の監督同様、五武先生に路線変更を強いるくらいなら、一体何のために五武先生にシリーズ構成を任せたというのか。(余談だが、五武先生が路線変更せずに最初から最後まで意思を貫いた作品は、このザンボット3と、「未来ロボダルタニアス」と、はるか後に作ることになる「疾風!アイアンリーガー」の3本くらいのものである。アイアンリーガーの監督は、富野監督の直弟子であるアミノテツロー(ちなみにアミノは萌えキャラ要員として、会川昇を投入している。このあたりも先見の明、ありすぎ)。やはり富野監督は〝成功するべくして成功した”人物なのだろうか?)

 ここで筆者流に解釈したザンボット3のストーリーを載せて置く。ガイゾックに追われ故郷を失ったビアル星人達は、150年前の日本に漂着する。彼らは先住民と様々な軋轢(恐らくは殺し合いを含む)を繰り返しながらも、ついに先住民に受け入れられる。恐らくそれはビアル星人達にとって、考えていた以上の厚意だったのだろう。実際ビアル星人達は、網元・牧場主・医師と非常に高い社会的地位についている。そして彼らは子孫(恐らくは神北兵左衛門本人)に地球人とは最初は無理でもいつか必ず理解し会えること、そして地球人にはとても親切にして貰ったという感謝の意を伝えたのだろう。そして何か事が起これば、地球人のために手を尽くせと(実はここまでの話が読み取れないと、ザンボット3のストーリーは半分近く理解できないはずだ)。そして話は現代に飛ぶ。後は、地球人の生善性に確信が持てる兵左衛門と、地球人を信用しきれない勝平らの、ジェネレーションギャップの物語なわけである。五武先生はこのジェネレーションギャップを際立たせるため、勝平にではなく、勝平の周りの戦災難民達に徹底的に圧力をかけ続ける。板ばさみになった勝平の苦しみを丹念に描くためだが、あえて難を言えば、前半のこうした展開は少しくどいかもしれない。もし観るのを止めてしまうとすれば、恐らくこの辺りだろう。しかし人間爆弾以降の怒涛の展開は見事。筆者が今まで見た全てのアニメの中でも、5指に入る面白さだ。

 ところで筆者はリアルロボット路線とは、すなわち「ミリタリーロボット路線」のことなのだと解釈している。では軍隊がほとんど登場しないザンボット3のどこがミリタリックなのだろうか。それは戦災難民を正面から描いた初めての作品だからだ。他にも勝平が勝手に空を飛んでいたら、領空侵犯だと言って自衛隊が追い掛け回すシーンなんかは、すごくミリタリックでリアルだと思う(最近でもあんまりないでしょ?)。またザンボットの存在を確認するや、いきなり接収して分析して量産しようとするなんて、とてもミリタリックでリアルだと思いません?。現在でも軍隊の内実を描いている振りをしながら、そのキャラクターや組織の行動がさっぱりミリタリックでもリアルでもない作品なんて、いっぱいあるでしょ?。そう考えていくと、リアルロボットというムーブメントに対して五武先生が果たした役割はとても大きなものだったのだと思う。

 ・・・やっぱり五武先生には、自由にやらせてあげなくては駄目なのだ。五武先生に自由にやらせるという賭けに勝ったことによって、富野監督は、結果として通称「ザンボット三部作」、すなわち「無敵超人ザンボット3」「無敵鋼人ダイターン3」「機動戦士ガンダム」の3本を手に入れることになる。しかし筆者には、富野監督の全盛期は、実はこの時期だったのではないかという気がしてならない。とにかくこの時期に富野監督が抱えていた脚本家陣は、エヴァ以前では恐らく最強の面子だったのではないだろうか。五武冬史・吉川惣司・星山博之・松崎健一・荒木芳久・山本勝etcetc。この後の富野監督の作品作りは、こうした面子を手放し続けていく過程そのものに他ならない。「戦闘メカザブングル」を最後に全ての面子を放出しきった結果、富野監督は、まともな物語を作り上げる力を一切失ってしまうことになる。「聖戦士ダンバイン」「重戦機エルガイム」「機動戦士Zガンダム」の3作(筆者は勝手にこの三作品を「ダンバイン3部作」と呼んでいる)は、全て同じプロットを持った、全く同じ物語だ。設定とメカとキャラを差し替えるだけで3年凌いだわけだが(それだって大したものだが)、ここで一つの限界を迎えることになる。しかしそれはそれで、別の物語。

 この後の五武先生と富野監督の展開を少しだけ。富野監督はこの後「無敵鋼人ダイターン3」「機動戦士ガンダム」「伝説巨人イデオン」という、文字通り代表作を作り続けていくことになるが、実はこのあたりの作品には、五武先生は全く参加していない。五武先生はその頃、「超電磁マシンボルテスV」「闘将ダイモス」「未来ロボダルタニアス」という、長浜ロマンロボット路線に参加していたのだ。・・・富野監督と何か確執があったのだろうか。こうして富野監督の代表作に参加できなかった五武先生は、リアルロボットというムーブメントの主流派から外れていくことになる。・・・そしてそれを巻き返すために、五武先生は実に20年もの年月をかけていくことになるのだ・・・。

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