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「機動武闘伝Gガンダム(第一話)」(1994年)

アニメ脚本家烈伝:<壱の巻>〝ロボットアニメの職人”五武冬史(鈴木良武) その十一

 この前年、富野監督による久々のテレビシリーズ「機動戦士Vガンダム」が、これ以上無いという勢いでこけている。スポンサー・製作サイドとしてもこれ以上ガンダムを富野監督に全てを任せ続けるわけにもいかず、"ジャイアントロボ”で当時、一世を風靡していた今川監督に、別の世界観でのガンダムの製作を依頼する。シリーズ構成は、サンライズ制作による、初の宇宙世紀を舞台にした作品ではない(要は富野監督の作った世界観に準じていない)ということを考えれば、「サンライズの特攻隊長」(第五法則)、である五武先生を置いて他に無し!(前年のアイアンリーガーでの成功もあったし)。かくして五武先生によるガンダムとの最後の戦いが幕を開けることになったのである。

 とは言え、今度こそ五武先生は本当に困ってしまったのではないだろうか。0083において遣りたい事は遣り尽くしてしまっていただろうし、本作はガンダムという名前は付いているものの、富野ガンダムとは世界設定すら異なる話だ。色々考えた五武先生は、ガンダムという神話に終止符を打つべく、ザブングル以来2度目の「メタ的」な物語を考案することになる。つまりガンダムの価値観を一から十まで全てひっくり返すことにしたのだ。一々文章にしていては切りが無いので、箇条書きにする。ファーストガンダムをF、GガンダムをGと表記する。

F:ガンダムとはプロトタイプとして作られた、その時代最先端の一機の最強のモビルスーツのことである
G:ガンダムとは幾らでもあるものであり、少しも特殊なものではない

F、モビルスーツとは、銃・剣・盾の三種の神器を用いて戦う
G:モビルファイターは、基本的に素手で戦う。ビームも空手の十字受けで跳ね返せる

F:ニュータイプは、宇宙に適応すべく少し直観力に優れているが、肉体的には普通の人間である
G:ガンダムファイターは、銃弾を蹴り返したり、素手でモビルスーツと戦えるなど、超人である

F:コロニーに住む人より、地球に住む人の方が偉い
G:地球に住む人より、コロニーに住む人の方が偉い

F:ガンダムとは、民間人が戦艦に乗せられてガンダムのパイロットをやらされながら逃げ回る話である
G:Gは選ばれた戦士が、仇を求めて追い掛け回す話である

F:ミサイル→マシンガン→バズーカ→ビーム兵器、という強さの戒律がある
G:ビーム→格闘武器→素手(必殺技)、という強さの戒律がある

F:リアルロボットものとは、技の名前を叫んだりしないものだ
G:必殺技の名前は、必ず絶叫する

F:普通の人間は、モビルスーツには勝てない
G:普通の人間でも、コンパクト型バリアを使えば、ガンダムのバルカン砲も跳ね返せる

 ・・・まだまだあるのだが、とりあえずこんなところで。これだけでも、見事に価値観を反転させているのが判って貰えると思う。ギャグこそ無いものの、見事に「メタ的」な話になっている。さてこのGガンダム第一話だが、これをもって五武先生は、見事に斬首(第一法則)になる。・・・しかし今回はドラグナーの時とは違って、今川監督の五武先生に対する通達が、相当早い時期だったのではないだろうか。今川監督は(恐らくは)、Gガンダム第一話(筆者は、これこそ五武先生の最高傑作と確信しているが)の暗くてマニアックな雰囲気が、一般視聴者には受け入れられないと判断したのだろう、五武先生にもっと視聴率が取れておもちゃが売れるような作品にするように依頼する。五武先生としても、やりたかった「メタ的」な所は第一話で遣り尽してしまったのか、この依頼を受諾、Gガンダム第2話以降を、改めてシリーズ構成し直すことになる。その詳しい内容は次回にて。

 さてGガンダム第一話の内容だが、一つに軸としてコロニーに住む裕福な人々と、地球に住む貧しい人々の階級闘争の物語があり、もう一つの軸として兄の裏切りによってヒトとしての心を失ってしまったドモンの、人間復帰の物語になるはずだったのだと思う。第一話でのネオイタリアのガンダムファイターは、マフィアのボスであり重度の犯罪者なのだが(コロニーに住む人は、地球に住む人のことなど何も考えていないので、強いと言うだけでこういう人物をガンダムファイターにする)、彼はドモンとの戦いによって恐怖のあまり、総白髪になってしまう。つまり第一話におけるドモンは、マフィアのボス以上に非人間的な存在として描かれているのだ。これを人間的に復帰させようというのだから、相当やりがいのある話になっただろうね、実際に作っていれば(笑)。

 しかしドモンが復讐命の人でなしで、レインがガンダム相手に秘密道具(笑)で対等に遣りあえてしまうとすると、やはり物語作りは相当難しくなってしまうのは間違いないだろう。さらに地球被差別民の、コロニー優生民に対する階級闘争も、ザンボットにおける戦災難民同様扱いが非常に難しく、ストーリー自体も相当暗いものになってしまうのは避けられないところだろう。なんといってもドモンとレインはコロニー側の裕福な国出身、一方ドモンが戦い続ける地球の人々は貧しく虐げられた人々、おまけにドモンの戦いによって、地球の人々は次々と戦災難民と化していくのだ!。・・・(筆者としては非常に不本意ながら)路線変更は、正解だったと言えるかもしれない・・・。

 ただ路線変更に関してはやむを得ないとしても、筆者は五武先生に一つだけ大きな不満がある。それは、五武先生自身がGガンダムの小説版を執筆なさっているわけなのだが、その内容についてだ。なぜGガンダム第一話の続きになってないんだ~!。てっきり没にされた第一話のシノプシスをそのまま小説にしてくれたと思ったのに~!!。俺は定価で全部買って読んだんだぞ~!!!

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