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ウルトラQ dark fantasy ヒトガタ

さて「ウルトラQ dark fantasy」第二十四話「ヒトガタ」の感想である。

(以下、ネタバレ感想)

 前回の量子理学に続き、今度は哲学ですか。
 相変わらず視聴者の知識を試す内容ですな。
 哲学については解説書を読んだ程度の知識なので、以下の文章で間違っている箇所があるかもしれないが、許されたい。

 さて、今回はデカルトからの引用「ワレ思フ故ニ ワレアリ」がひとつのキーワードとなっている。
 聞いたことがある人が殆んどだと思うが、何を云っているのか少し解説する。

 デカルトは「方法的懐疑」という手法で、まず、あらゆるものを疑ってかかった。
 例えばあなたの目の前にリンゴがあったとする。
 目で見ると赤いリンゴだし、触感、重さ、匂い、全てがリンゴのように見える。食べてみると、やはりリンゴの味がする。
 しかし、これはひょっとして悪魔があなたの五感を騙して、あたかも存在しないリンゴを存在するように見せかけているだけかもしれない。
 五感を騙してしまえば、存在しないものを存在するように見せかけることは出来る。
 そう考えると、世の中全てのものが疑わしくなる。自分の身体でさえ存在していないかもしれない。或いは、この世は全て夢であるかもしれないのだ。

 現代で云うところのヴァーチャル・リアリティー(以下VRと略す)の世界にそっくりだな。
 よく知られている例を挙げると、映画「MATRIX」で人間は眠りながらマシーンに管理されており、夢の中で仮想の町「MATRIX」に住まわされている状態か。
 「ウルトラQ Dark Fantasy」でも、第三話「あなた誰ですか」の主人公は脳だけの状態で、夢の世界に生きていた。
 そんな状態になってしまっては、人間は文字通り手も足も出ず、ただただ幻想を信じ続けるしかないだろう。

 デカルトはそんな状態から、じゃあ真実ってなによ? と考え始めた。
 何しろあらゆるものが疑わしい。周囲の景色は書割かもしれないし、今目の前で会話している人間も幻かもしれない。いやいや、自分の身体でさえ、本当に存在しているか証明できない。
 で、あらゆるものを疑った結果「あ、こうやって周囲を疑っているこの心だけは、確実に存在しているんじゃないのか」という結論に行き着いた。
 周囲を疑った結果、魂というか、自我だけは、本当にあるのだと思った訳だな。

 これが「ワレ思フ故ニ ワレアリ」だ。

 そして、この自我が「存在する」と認めたものが、存在するものである。と一つ一つ周囲のものを観察していき、自らが納得して観察できるものが世界の真実である、と世界を再認識する。
 ここから私の解釈になるが、実はこの「方法的懐疑」でも前述のVRの中に居ながら、世界が幻か否かどうかは確かめようもない筈である。
 結局、本物だと思ったものが本物である、ということだろう。この世が夢だとしても、VRの中だとしても、悪魔やコンピュータが、ちゃんと騙してくれればそれは真実と変わりはない、ということか。

 さてここから今回の話になっていくが、デカルトの考えを推し進めると、「世界」はそれぞれの個人が確実に認知できるモノで成り立っていると、いうことになる。
 この前話である「右365度の世界」の量子力学世界の様に、観測することによって世界を成立させているということに通じるものがあるが、要は「オレが認めるから世界は存在する」と言うことだ。
 これを一歩進めて、真柄教授は「ヒトの想念を物理的な力場に転換するシステム」、主人公・門野的な言い方にすると「認識すれば、それが世界に存在する」という存在を産み出した。

 それがあの人形「雛」だ。

 つまりあの人形は、誰かが「存在する」と認め続ける限り、存在することになるのだな。
 「アナタが思ってくれるから、雛は存在する」とはそういうことだ。
 ただ、そんな簡単に信じる事が現実化するなら世の中はもっととんでもないことになるに違いない。
 幼い子がサンタクロースを信じれば現実化しかねないし、ジャンキー等が見る幻影が現実化するかもしれない。
 そういうことが無いのは「右365度の世界」でも述べた様に、多数決で世界のありようが決まっているからだろう。
 このウルトラQの世界において、世の中の人間の大半が持っている共通した幻影が、一個人の幻影を抑えて、世界を安定させているのだ。
 そんな中、個人の観測(願望)を具現化するには、相当の精神力が必要になるのだろう。
 思うに、現実に無いものを実体化するには、偏執的なまでの愛情が必要なのではないか。

 そう、今回のもう一つのテーマが愛である。

 真柄教授も、門野も人形嗜好症(ピグマリオン)である。(この嗜好は、ヲタな私には、まあ判らなくもない)
 真柄は自分の理論によって、自分の嗜好の人形を作り出した。
 それを引き継ぐ事になった門野は、その人形にデカルトの伝説を見出し、そこに自分の哲学を投影した(劇中、人形の「雛」は雄弁に門野に語りかけるが、あれは門野自身の言葉なのだろう)。

 ぶっちゃけこれは自己愛(ナルシズム)なんだろうな。

 今回の世界観で言うと、自らの想念が生み出したオブジェに対する愛か。
 芸術家が自己の作品を愛するようなもので、要するに自慰だ。
 あの人形は恐らく相手の心を投影し、それにより理想の女性(アニマ)を演じるのだろう。想われてないと存在であるため、人形なりの処世術であろうが、それにより絡め取った人間の人生を狂わせるのだから、成程これは怪物だ

 世界と隔離した引き隠りである門野は、一方、世話をしてくれ、慕ってくれる京子を「存在をしていない」と言い、デカルト的には世界から抹消している。
 京子としては可哀想な話だが、つまり、これは門野のナルシズムに負けたんだろうな。
 京子は「雛」に対する嫉妬から人形を呪殺するが、結果的に門野が死んでしまう。これは人形「雛」を門野のナルシズムの投影とするなら、あながち間違いではないだろう。

 それにしても、流石に小中脚本、実相寺監督作品は、他より頭ひとつ飛び抜けていますね。
 これぞ、ダークファンタジーといった感じでした。

ではまた来週。

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コメント

ダッチワイフの話かと思った、やりすぎて死んじゃったんでしょ。違った?

投稿: バーベQ | 2004.09.20 11:11

固まっちゃいました?
ちょっと解説、劇中「動物性器」「父親以上のものをそそぎこまねばならなかった」
という台詞あります。何を注ぎ込むのでしょうね。まさに大正エロ・グロ・
ナンセンス。おぞましや。注ぎ込まれたもので機能する、まさに汎永久機関
恐るべし「雛」
我想うとか、機械仕掛けは、視聴者に対しての眼くらまし。
深読みしていくと、こういう結論に達してしまいました。
だって上の話をあけすけにしちまったら、絶対確実に放送禁止ですからね。

投稿: バーベQ | 2004.09.22 19:32

バーベQ様。コメント有難うございます。

 >固まっちゃいました? 

・・・ええ、まあ。

というか、そっち方面も考えなくは無かったんですし、おそらくそっちは正解でしょうが、それでは書くことが無くなってしまうので(笑)、取り敢えず周囲に巡らされたダミーの方を処理しておこうかな、と。

デカルトの引用も、これはこれで、なかなか面白いですからね。

(因みに「動物性器」ではなく、これは「動物精気」であり、これは心身二元論を唱えたデカルトが魂と身体を繋げる物質と考えていたモノです)


ところで、もしや公式HPのBBSで有名なバーベQさんですか?
こんな場末のblogにコメント有難うございます。
あと二回ですが、宜しくお願いします。

投稿: 一伽貝 | 2004.09.22 23:00

たぶん別人でしょう、、こちらこそよろしくお願いします。

投稿: バーベQ | 2004.09.23 10:01

このストーリーは江戸川乱歩の「人でなしの恋」がモチーフになってます。
この話の原案と言ったほうがいいでしょうか。
ぼくもこのストーリーは好きです。

投稿: くろ | 2010.12.12 03:53

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