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ウルトラQ dark fantasy 送り火

さて「ウルトラQ dark fantasy」第十話「送り火」の感想である。

(以下、ネタバレ感想)

 今回のテーマは安楽死だろうか。
 不治の病の人間をマザーランド(幼児期の一番幸せな記憶)に連れて行き、死の恐怖を緩和し、安楽死させることを生業とした「送り火」。
 その行為自体の是非についてはここでは記さない。
 ただ、事故死でもなければ、人の最期は恐らく死の恐怖と戦い続けるのだろう。
 そして、周りに誰がいようが結局は一人であの世に逝かればならない。
 或いは「送り火」に途中まででもついて行ってもらえるのなら、それは幸せなことなのかもしれない。

 それにしてもヒタキ(送り火)の言う「マザーランド」とは何だろう。
 単純に考えるなら、まあ幼児期の幸せな記憶であり、もっと言ってしまえば、母親の子宮いた時に記憶であろう。
 人は、生まれ出るまでは、空腹も、疲れも、ストレスも知らずに幸せな時を子宮の中で過ごす。生まれ出るのは、苦行の始まりであり、ある種の不幸だ。
 人がこの世でストレスを感じるのは、結局ストレスのその先に死が関係しているからである。空腹、疲れ、病気、他人との軋轢・・・様々なストレスは直接的、間接的に死へと結びつく。そしてその集大成であり結果である死に際に、逆に最もストレスの無かった幼児期、母親の胎内を求めるのは当然かもしれない。
 臨死体験が無いので何とも言えないが、或いは人の脳は誰しも死の恐怖を目の前に、その恐怖を緩和する為、自分のもっとも安らげる景色を無意識に探すのではないだろうか。走馬燈とは「マザーランド」を見つける手段であり、人は誰しも「マザーランド」を通って死ぬのだろう。

 「送り火」はそれに苦痛無く連れて行ってあげるだけだ。

 そう考えると「送り火」がやっていることは、単に人の死期を早めるだけである。

 別の言い方をすれば、生の苦痛を早く終わらせるということだ。

 死を望む人が判るとか、マザーランドまで一緒に連れていくとか「送り火」自身は言っているが、単なる現象としての彼の能力は手を翳すだけで人を死に至らせることだけである。

 「マザーランド」云々は、異能の力の行使の言い訳に聞こえないこともない。

 涼が自分が看取ってやると言ったヒタキを目の前に「死んでも死なない」と言った背景には、そのあたりの胡散臭さを感じ取ったのではないか。(まあ、彼女はまだ若いので、自分がどのように死ぬのか考えたこともないのだろう。そんな彼女がいきなり自分の死について言われて反発しただけとも考えられる。)

 しかし他人に死を与える「送り火」も、その代償は大きい。
 彼らは「マザーランド」を喪失しているというのだ。まあ有る程度成長してから「マザーランド」を喪失しているのだろうから、あまり人格に影響は無いのだろうが、しかし死に至るとき、彼らには逃げ込む「マザーランド」が存在しない。彼らの死は、想像を絶する恐怖と共に訪れるのだろう。
 望まれたとは言え、人を殺め続けた贖罪が、それなのだろう。
 何とも報われない、ある意味優しい殺人者である。

 因みに「送り火」については盆に先祖の霊をあの世に送り出す為に火を点すこと。
 仲間である「赤目」については出典は不明。(『カムイ伝』の白土三平のプロダクションを赤目プロといい、このあたりから何か出典あるのかと調べたが、はて?、良く解らなかった)
 なお、フラッシュを焚いてカメラ撮影をした際に目が赤く光ることを「赤目」と言うが、この「赤目」の瞳の赤い光についてはここから来ていると思われる。

 今回はあまり突っ込むところが無い。「送り火」についてはともかく、「赤目」については余りに情報が少なく、その関係の判断が出来ないからだ。
 よって今回は突っ込みについては割愛。

 さて、今回は一話以来久々に涼の主人公の回であった。ともすれば登場すらしないのでこちらも存在を忘れがちだが、ようやく面目躍如といったところか。

 ではまた来週。

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